Multiverse
異なる世界、異なる身体でも、同じ存在であり続けられるのか。
《Multiverse》は、一つの存在が異なる世界を通り、別の身体や姿へと変化するとき、その同一性がどこまで続くのかを探る連作です。繰り返し現れる黒猫と、流れ、歪む形を通して、存在は一つの身体に固定されるのか、それとも変化の中でも続いていくのかを問いかけます。
《Multiverse》は、一つの存在が異なる時間と空間を経て、さまざまな姿で現れ得るという想像から始まった、17点のデジタルドローイングです。SHHANの作品に繰り返し登場する黒猫は、ここでは固定されたキャラクターではなく、世界を通過しながら形や状態を変える存在として描かれます。
見慣れた身体を保つ猫もいれば、液体のように流れ、身体が長く伸びたり歪んだりする存在もいます。周囲の空間と身体の境界が消え、神や悪魔を思わせる未知の姿になることもあります。形や力、状態は異なっていても、黒猫という一つの像が繰り返し残されています。
この連作に現れる液体や煙のような形は、単なる背景や装飾ではありません。猫の身体を包み、のみ込み、ときには身体そのものと混ざりながら、一つの空間から別の空間へと続く流れを作ります。SHHANはそれを、世界同士を結ぶ時空の流れであり、次元を移動する通路として想像しました。
その中に入った身体は、元のままではいられません。伸び、溶け、分かれ、周囲と混ざり合います。異なる世界への移動は、同じ身体が別の場所へ着くことではなく、新たな世界の条件によって、存在の姿そのものが変わり得る出来事として表現されます。
繰り返し描かれる落下やダイブも、同じ考えにつながっています。下へ落ちる動きは、消滅や死を直接意味するというより、今いる世界を離れ、別の次元へ入る動きです。一つの空間から消える瞬間は、別の空間に現れる始まりにもなります。
《Multiverse》が問うのは、別の世界が実在するかどうかではありません。より重要なのは、そこへ移った存在を、以前と同じ存在と呼べるのかという問いです。
身体も力も、生きる世界や経験さえ変わったとき、前後の存在を何が結ぶのでしょうか。外見が同一性を決めるなら、それぞれは別の存在かもしれません。しかし、身体が完全に変わっても何かが続くのであれば、目に見える形だけでは存在を説明できなくなります。
17点に繰り返し現れる黒猫は、その問いの基準点になります。似た形が現れることで、鑑賞者は異なる画像の間に自然とつながりを探します。ただし作品は、それらが本当に一つの存在なのか、別の世界に生まれた異なる存在なのかを定めません。何が同じだと感じさせ、何が違うと判断させるのか。その境界は開かれたままです。
こうして《Multiverse》は、SHHANが存在の移動と変形を本格的に扱った初期の連作となりました。この時期の移動は、死と再生という明確な構造よりも、次元や時空を越える想像に近いものでした。それでも、一つの状態が終わって次が始まり、身体が変わる中でも何かは続き得るという問いは、後の生と死、輪廻、反復を扱う作品への重要な出発点になります。
《Multiverse》における変化は、それまでの存在が完全に消えることではありません。一つの身体が崩れ、別の姿が現れる瞬間にも、その間には説明しがたいつながりが残っています。
異なる世界、異なる身体でも、同じ存在であり続けられるのでしょうか。《Multiverse》は一つの答えを示すのではなく、その可能性を17の姿へと広げます。
《Multiverse》は2022年、ソウルのMake B Cafeで開催された《The SHHAN – Multiverse》展で紹介されました。