Shhan in the City
異なる記憶と想像は、どのように一つの場面になるのか。
《Shhan in the City》は、作家が自ら体験し撮影した都市の風景に、実在する猫の写真と描かれた存在を組み合わせる。異なる時間と場所に存在した記憶と、存在しなかった想像が一つの場面で出会い、現実と虚構の境界を行き来する新たな記憶をつくり出す。
《Shhan in the City》は、SHHANが自ら訪れ撮影した都市の写真に、巨大な猫と想像上の存在を組み合わせた6点のデジタル・イメージ・シリーズである。幼い頃から親しんできた怪獣映画やアニメーションを出発点に、実際に歩いた都市の中心に怪獣のように巨大な猫が存在したなら、どのような場面が生まれるのかを想像した。
しかし本作における現実と虚構は、写真と絵という単純な区分には収まらない。実際に体験した場所、ともに暮らした猫、別の作品で生まれたキャラクター、幼い頃から記憶してきた大衆文化のイメージなど、異なる出所を持つ記憶と想像が一つの画面で出会う。
最初の作品《Victoria Harbour》は、SHHANが香港で自ら撮影したビクトリア・ハーバーの写真と、実在するNikiの写真を組み合わせて制作された。都市もNikiも実在し、二つのイメージはいずれも作家が実際に体験し撮影した現実の記録である。
だが、その二つの現実を結び合わせた場面は、現実に存在したことがない。Nikiがビクトリア・ハーバーの建物よりも巨大な身体で横たわった瞬間はなかった。実在した二つの記憶が出会うことで、存在しなかった一つの場面が生まれる。
以後の作品では、この方法がさまざまな方向へ展開される。SHHANが撮影した大阪、珠海、海南、ソウル、香港の風景に、実写、ドローイング、別作品のキャラクター、想像上の存在が異なる方法で組み合わされる。写真と絵は再び調整され接続され、初めから一つの場面であったかのような新しいイメージとなる。
《Rain in Osaka》では、SHHANの別プロジェクト《The SHHAN》に登場するWitchが、巨大な猫の背に乗って都市を進む。実際に訪れ撮影した大阪の風景へ、まったく異なる虚構世界の存在を呼び込むことで、現実に体験した場所と作品の中で生まれた世界が一つの場面で出会う。
巨大な猫は建物や都市よりはるかに大きいが、典型的な怪獣のように何かを破壊することはない。屋根に立ち、都市を眺め、建物の間に横たわり、別の存在を背に乗せて動く。猫にとって自然な行動が非現実的な大きさへ拡大されることで、見慣れた都市も別の空間へ変わっていく。
香港を舞台とする作品では、この結合がさらに広がる。実在する都市風景の中で、SHHANが生み出した巨大な猫と《新世紀エヴァンゲリオン》の初号機が対峙する。作家が体験した都市、自らの作品で生まれた存在、長く親しんできた大衆文化の記憶が、現実には起こり得ない一つの出来事の中で出会う。
したがって《Shhan in the City》では、写真が現実でドローイングが虚構だと単純に区別することは難しい。実在する都市とNikiの写真を組み合わせても、その結果は存在しなかった出来事になる。一方、描かれた存在は実体験の記録である写真に入ると、まるでそこに存在したかのように見える。
写真はSHHANがその場所に実際にいた経験の記録であり、Nikiはともに暮らした存在への個人的な記憶である。別作品のキャラクターは作家が築いてきた世界の記憶であり、怪獣映画やアニメーションは幼少期から現在まで続く文化的記憶である。異なる時間と場所で生まれた経験が、《Shhan in the City》の中で同じ時間と空間を共有する。
《Shhan in the City》は、実際に起きたことを記録するのではなく、実在した記憶と存在しなかった想像を組み直し、現実にはなかった新たな場面をつくるプロジェクトである。